婚約指輪の歴史

婚約指輪の習慣はいつ頃から?

 

婚約指輪を贈る習慣は、中世の時代から根付いてきたとされています。その習慣の原点は、人生の新しい出発点を記念して贈ったり交換するものでした。中世の婚約指輪の形状は様々で、ハートや手を握りあわせたもの、十字など、いずれもデザインのモチーフを通じて2人を結びつけるシンボルを表現していました。
ここでは、婚約指輪の歴史や、婚約指輪がどのような役割を果たしてきたのかについて、確認していきたいと思います。現代との共通点や違いなどを知ることによって、婚約指輪選びの視野が広がるかも…?

  • 婚約指輪の定着の起源

    中世から習慣化したといわれる婚約指輪ですが、その歴史は何千年も続いてきましたが、古代ローマ時代に定着したとされています。

    定着の起源にはいくつも説がありますが、そのうちの一つには、妻をお金で買う「売買婚」があったそうです(出典:「結婚と床入り」M.L.フォン.ブレッセン著)。婚約成立時に、代金支払いの証拠として、花嫁の父親に婚約指輪が渡されたそうです。これは当時においても決して失礼な概念ではなく、「指輪のお金」という言葉がローマ法にも存在しており、契約を形にしたものだと考えられています。また、指輪を渡すタイミングは婚約時であったとされており、結婚時ではなかったそうです。現在の日本の風習にある、結納にあたる考え方と同じですね。

  • 婚約指輪が契約に使われていた?

    婚約指輪の起源の他の説には、装飾指輪を花嫁にプレゼントすることが始まりというものもあります。最初は純粋な贈り物としての指輪で、法的拘束力は持ち合わせておらず婚約の解消も可能だったようです。そのため、婚約義務不履行の法的根拠として扱われることもなかったそうです(出典:「ローマの婚約指輪の起源」M.ミュール著)。

    婚約指輪が契約の証とみなされるようになったのは、紀元前3世紀頃からで、その頃から、契約時に用いられた印章指輪が婚約指輪として使われるようになったことが理由ともされています。このことからも、婚約指輪の性格は、贈り物から契約に必要な道具として、徐々に実用的になっていったようです。

  • 昔の婚約指輪の素材

    その昔、婚約指輪は鉄製だったそうです(出典:「プリニウスの博物誌」中野定雄、同里美、同美代訳)。その後、金の指輪を花嫁に渡す習慣が徐々に広まっていきました。同時に、金の婚約指輪に、婚約者が自分自身のイニシャルを掘り込んで、それを相手に渡すこともしきたりになっていきました。いずれも古代ローマ時代の習慣です。

    当時の結婚は、家同士の関係性や、子孫を残すことが最優先とされ、当事者同士の愛情よりも、身分や金銭が関係した婚姻の事例が多かったそうです。相手を選ぶというよりは、家に決められていたんですね。その中でも、贈り物として指輪を贈る習慣が生まれて、時間を経るにつれて贈る指輪自体の素材が変化していくなど、家に決められている結婚でも、結婚する当人たちは強く当事者意識を持っていたことがうかがい知れます。家同士では、婚約も結婚も私的な契約事と扱われ、しきたりには文書で契約書を書くことも含まれていたそうです。

  • 指輪と宝石の関係

    古来から、宝石には神秘的な力が宿ると信じられ、人々は宝石をあしらった指輪をお守りとして着用してきました。お守りとして身につける装身具は、古くは猛禽類や猛獣の爪や牙をペンダントにしたものから始まりましたが、一説には、身につけた装身具から猛禽や猛獣の力を取り込む意味もあったようです。宝石つきの指輪もその延長にあり、宝石の神秘的な力によって、死や危険、病気、悪魔、不幸などネガティブな出来事から身を守るとされ、珍重されてきました。

    ルネサンス期以降は、富を集積してきたブルジョア層たちが指輪を含めた装身具に関心を強め、それが財力のシンボルにもなりました。同時に、宝石つきの指輪は神の権威のシンボルともされ、ブルジョワだけに留まらず、聖職者たちもこぞって身につけるところとなりました。その需要の拡大から、結果的に宝石や金銀細工の文化が開花し、宝石をあしらった指輪が広まっていきました。

  • ダイヤモンドはいつ頃から婚約指輪に?

    ダイヤモンドは古代から文献に登場しています。アダマスという表現で、王だけが知る貴重な宝石として扱われていたようです(出典:「プリニウスの博物誌」中野定雄、同里美、同美代訳)。ダイヤモンドには、毒、邪悪な力、疫病に対して効能があるとされ、ヨーロッパでは聖母マリアの純潔のイメージと結びついている宝石とされていたそうです。

    初期ルネサンス時代には、護符信仰の考え方が広く流布していたことから、ルビーやエメラルドの方が珍重されていました。しかし、1477年に神聖ローマ皇帝であるオーストリアのマクシミリアン一世(1459年~1519年)がブルゴーニュ侯の娘マリーにダイヤの指輪を贈ってからは、ダイヤモンドの婚約指輪が愛と忠誠の約束のしるしになり、以降はダイヤモンドが婚約指輪に用いられるようになりました。さらに15~16世紀には、イタリアで新たな研磨法が開発されたことから、ダイヤモンドの輝き自体に人々が魅力を感じるようになったことも大きく影響したそうです。

  • 歴史上で著名な人の婚約指輪

    著名な人物の指輪では、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483年~1546年)が妻のカタリーナと交換しあった、画家ルーカス・クラナッハ(1472年~1553年)がデザインした指輪が有名で、レプリカがオーストリアのウィーンにある民族博物館に展示されています。

    この指輪は、十字架にかけられたキリスト、拷問具である剣や長槍、梯子や縄などがデザインされており、リングの内側には、ルターとカタリーナの名前が刻まれています。ルターとカタリーナ夫妻の生き様から、その後、この指輪のレプリカが多くつくられたことでも有名です。周囲の結婚をする人々が、自身の結婚生活も、ルターとカタリーナ夫妻のようにありたいと願うほどの良い結婚生活を、ルターとカタリーナが過ごしたことが伺えます。

  • 日本の指輪文化は?

    途切れることなく指輪の歴史が続いてきたヨーロッパとは違い、日本では、最初に装身具文化が開花したのは縄文・弥生時代で、その後は江戸時代末期まで空白期間ともいえる停滞期がありました。縄文時代には勾玉に代表される翡翠文化がありましたし、弥生時代には指輪着用の習慣があったとされ、登呂遺跡から青銅の装身具が発見されています。しかしその後、決定的な理由は判明していませんが、7世紀以降には“わび・さび”の日本的美意識が醸成され、その頃から装身具の空白期間が生じています。

    日本に再び装身具が登場するのは明治以降になってからで、洋服をはじめとする外国文化の流入を受け入れるとともに、装身具が定着してきたからとされています。正確には江戸時代にも、和装文化時代の装身具として、かんざしや帯留めがありました。しかし、宝飾品としての金属製の装身具が主流になるのは、洋装が現在でいう公務員の正装として指定されるようになった明治期になってからです。それでも、明治期には一部の上流階級の人たちの間にだけ定着する程度でした。一般的に広く普及するのは、もう少し後になってからです。