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日本のダイヤモンドと婚約指輪の歴史

ダイヤモンドの婚約指輪は、日本にはいつからあるの?

気付けば当たり前になっている事柄って多くありますね。ダイヤモンドの婚約指輪もその1つではないでしょうか?いつからダイヤモンドの婚約指輪が日本社会にとって一般的な存在になったのでしょう。ダイヤモンドが初めて日本でお披露目された経緯や、戦後の放出ダイヤの存在など、ダイヤモンドをより詳しく知りたい人には必見です。婚約指輪のリサーチからちょっと休憩して、ダイヤモンドの婚約指輪についてもっと深く知ってみるのもいいのではないでしょうか。

  • 日本に、はじめてダイヤモンドが紹介されるまで

    日本人ではじめて西洋的なジュエリーを身につけたのは、支倉常長とされています。着用したのは、ルビーの指輪だったそうです。常長は1612年に、藩主だった伊達政宗の命で、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに向けて出港しました。欧州へ向かっている時点で日本国内ではキリスト教の弾圧が始まり、そのことが遠因となり、欧州での通商交渉は不調に終わるなど、キリシタンとして洗礼を受けていた常長にとっては受難の旅路でした。帰国時には禁教令がでているなど出国時とは状況がガラリと変わっており、そんななかで常長は、帰国から2年ほどで息を引き取ったと言われています。仙台市博物館に所蔵されている支倉常長の肖像画には、左手薬指にはっきりと指輪が描かれており、その着用の意図としては、装飾品という位置付けではなく、宗教儀礼的な一面があったと推測されています。

    また、ダイヤモンドが日本に紹介されたのは、出島での交易を除くと1763年になってからが最初で、蘭学者の平賀源内らによって湯島で開催された物産会に出品されたものがそれでした。当時はダイヤモンドではなく“デヤマン”と呼ばれていたそうです。以降、ダイヤモンドの認識が一般に広まる過程で、その名称は日本人に馴染みのある、仏典のなかで最も硬いとされる金剛から金剛石と呼ばれていきましたが、この時点では“デヤマン”だったそうです。ただこの時のダイヤモンドは、未加工の原石であった可能性が高いそうです。

  • 日本でダイヤモンドが大衆化したのはいつ頃?

    1860年代から、一部の上流階級の人たちの間でジュエリーの認知度が徐々に高まり、ジュエリーを身につけている女性の姿も見受けられるようになってきたそうです。指輪を着用した女性が写真に写されたり、絵画に描かれるようになってきたのもこの頃からと言われています。その他にも、雑誌や文学作品にも取り上げられ、ダイヤモンドの重量を示すカラットのことを“カラート”として紹介や説明がされるなど、徐々にダイヤモンドと関係する概念が日本に入ってきていたようです。当時はまだ市井の服装が洋装へと変わる前で、ジュエリーとしては和装にも合う指輪が好まれました。それまでの装飾品の基準だった櫛(くし)やかんざし、帯留めなどから、ジュエリーへと装飾品の基準が変わってきた時代ともいえるでしょう。

    その後にジュエリーが本格的な流行をみせたのは、明治政府による鹿鳴館の落成からです。同時期に当時の公務員である官務員の正装が洋服とされたことから、社会の装いが和装から洋装へと爆発的に変化していきました。その影響を受け、官務員たちを夫や親に持つ貴婦人や令嬢たちの間では多様な形式のドレスが流行し、鹿鳴館には、ドレスに合う宝石を用いた指輪やネックレスで着飾った女性たちが集ったそうです。この華やかな一時代が、以後のジュエリー文化の発展の礎になったと言われています。

    また、1890年代頃から、ダイヤモンドを身につけた女性像や、豊かさの象徴としてダイヤモンドを取り上げた文学作品などが続出し、なかでも尾崎紅葉の金色夜叉や、岡田三郎坊のゆびわが広く知られていますが、ダイヤモンドの認知が社会的に進んできた背景には、ダイヤモンドの力だけではなく、ダイヤモンドに憧れた人たちによる情報発信によって拡大していったことが分かります。

  • 日本のダイヤモンドと婚約指輪の歴史

    1970年代以降には、それまでは高価だったダイヤモンドを、一般の人たちが身につける機会が増えてきました。それ以前は、太平洋戦争によってダイヤモンドが禁輸になったり、物資が減少するなどして、戦時中には、国からダイヤモンドや貴金属が接収されていました。そうした背景から、日本社会のジュエリー文化は停滞してしまいました。しかし戦後には、ジュエリーの輸入も解禁され、生活スタイルも欧米化するなどが好影響をもたらし、日本社会のジュエリー文化は再度花開くことになりました。

    経済が発展するにつれてジュエリーの浸透も進み、庶民の間でもアクセサリーとして普段からジュセリーを身につける女性が増えてきました。ダイヤモンドの婚約指輪もその時から社会に浸透していったものです。きっかけは、デビアス社による日本の冠婚葬祭を重んじる文化に向けて発信されたキャンペーンです。ダイヤモンドの硬く変質しにくいという特性から「永遠の愛」を、白い輝きからは「花嫁の純粋さ」のイメージ連想させることで、ダイヤモンドの婚約指輪は日本人にも広く受け入れられたのです。

    デビアス社のキャンペーンは、日本社会が1964年の東京五輪、1970年の大阪万博を経験するなかでの出来事だったため、日本全体が社会経済の発展を実感するなかで、各個人の消費マインドに大きく働きかけることで成功したと言われています。当時結婚する75%もの人がダイヤモンドの婚約指輪を入手し、なかには結納の品として婚約指輪を納める風習ができた地域もあるそうです。これによってダイヤモンドが一般的になり、日本のジュエリー界にもダイヤモンドが根付き、いまでは消費者の選択肢が増えたという事実もあります。日本人にとってダイヤモンドのリングが特別な存在になっていることは、言うまでもありません。